| 重要文化財とは日本に所在する美術工芸品、建造物等の有形文化財のうち、文化史的・学術的に特に重要なものとして文化財保護法に基づき日本国政府(文部科学大臣)が指定した文化財を指します。
重要文化財のうち製作が特に優れたもの、歴史上特に意義の深いものなど学術的に価値の特に高いものが国宝に指定されます。法的には国宝も重要文化財の一種です。なお、1950年(昭和25年)の文化財保護法施行以前の旧制度下では、現在の「重要文化財」に相当するものがすべて「国宝」と称されていました。 |
文化財と重要文化財 |
「文化財」とは、国や地方自治体の指定・選定・登録の有無に関わらず有形無形の文化的遺産全般を指す用語です。文化財保護法では「文化財」を「有形文化財」「無形文化財」「民俗文化財」「記念物(史跡、名勝、天然記念物)」「文化的景観」「伝統的建造物群」の6つのカテゴリーに分類している(同法第2条第1項)が、このうちの「有形文化財」に該当するもので、国(文部科学大臣)によって指定されたものを「重要文化財」と呼称しています。
上述のように、法令・行政用語としての「重要文化財」は国の指定を受けた文化財全般を指す用語ではなく、国指定の有形文化財のみを指す用語である点に注意を要します。似通った用語として「重要無形文化財」「重要有形民俗文化財」「重要無形民俗文化財」などがありますがこれらはいずれも「重要文化財」とは別個のカテゴリーであり、たとえば「重要有形民俗文化財」を略して「重要文化財」と呼称することは適当でありません。 |
近代の主な重要文化財 |
 |
広島平和記念資料館
中島町の広島平和記念公園敷地内に所在し、広島原爆の惨状を後世に伝えるための施設として当初は「広島平和会館原爆記念陳列館」の名称で開館した。運営は広島市出資の財団法人広島平和文化センターが行っている。
国指定の重要文化財である西側の「本館」と、東側の「東館」からなり、観覧は東館から入場し本館から退出するコースとなっている。東館には原爆投下までの広島市の歴史や原爆投下の歴史的背景に関する展示があり、本館では広島原爆の人的・物的被害に関する展示が行われている。特に、投下直後の壊滅した市街地の縮小模型、逃げまどう被爆者の等身大ジオラマ、「黒焦げの弁当箱」など被爆死した動員学徒の遺品、本通の住友銀行広島支店から1971年に移設された「人影の石」などの展示品はよく知られている。東館・本館併せて全ての展示物の観覧には3時間かかるとされるが、実際の平均見学所要時間は40分である。
訪問者の累計は5301万人(2005年5月末迄)で年間百万人台で推移している。 |
安い居酒屋や沖縄料理のおいしい高円寺マップが便利です。天下の台所と言えば大阪 道頓堀へ食べ歩きを満喫。辛い腰の痛みには根本的に腰痛を治すことが大切です。詳細はこちらから。 脱毛の症状や原因の特定は薄毛を根本的に治す専門サイトで情報をゲット!
高収入バイトは東京で治験のアルバイトを探す。生命保険を無駄に払いすぎ?生命保険の見直しはこちら。ペット葬儀会社を探す前にペット悪徳業者の実態を知っておこう。不動産投資の初心者が家賃生活情報で知っておくべきこと。被リンクには高ページランク 中古ドメインでキマリ。
|
明治丸
灯台巡視船として日本政府がイギリスに発注し、御召し船や練習船としても使用された。
明治初頭、洋式灯台の建設に伴って、その測量やメンテナンスのために灯台巡視船が日本にも登場した。灯台の増加により新鋭船が必要となったため、日本政府はイギリスのグラスゴーにあるネピア造船所に明治丸を発注した。同船は1874年9月26日に進水し、同年11月24日に竣工している。翌1875年2月20日に横浜港に到着し、灯台巡視船の任に就いた。
明治丸は、日本国内における最優秀船であったため、通常の業務の他にも様々な業務を行い、日本の近・現代史にも業績を残している。
日本に回航された1876年には小笠原諸島の領有問題が生じ、11月21日、日本政府調査団を乗せて横浜を出航し、24日に父島に入港した。新造船で船足が速く、22日に同じく横浜を出航した英国軍カーリュー号より2日早く着き、調査を進められたため、日本の小笠原諸島領有の基礎を固めることができたとされている。
また、御召し船としても用いられており、特に、1876年には明治天皇の北海道・東北地方への巡幸に供され、7月20日に横浜に無事帰港した事を記念して1941年にこの日が『海の記念日』(現在の海の日)に制定された。1875年3月5日の、軍艦・清輝の進水式の際にも明治天皇は乗船している。また1879年の琉球処分の際には尚泰を乗せて東京まで航海し、1887年には高崎五六らの硫黄列島への探検航海に用いられるなどした。
その後、海軍省から譲渡された新発電丸が後任に就くと、明治丸は1897年9月に商船学校(現・東京海洋大学)に貸与された。さらに同年11月には同校に移管され、係留練習船として操帆訓練などに用いられた。1901年12月25日に現在の東京海洋大学・越中島キャンパスに移動し、1911年と1917年には台風や高潮でバウスプリットが折れるなどの被害を受けつつ、1923年の関東大震災や1945年の東京大空襲の際には数千人の罹災者を収容している。
1945年9月には学校とともにアメリカ軍に接収され、酒保になっていた。その後1951年に係船地で座礁したのを契機に接収が解除され、1952年には浮揚させて上甲板などの修理が行われたが、1954年に老朽化のため練習船の任務を解除された。その後も1975年頃までは結索実習などに船内が使われ、1978年5月31日には船として初めて国の重要文化財に指定されている。1988年1月29日に保存修理工事を終え、1989年5月16日から2009年1月まで一般に公開されていた。 |
|
|
近代の主な国宝 |
上杉家文書
旧米沢藩主・上杉家に伝えられた鎌倉時代から江戸時代までの古文書群。2018通、4帖、26冊が平成13年(2001年)に武家文書として初めて国宝に指定された。
近世に米沢藩となった上杉氏は、もともと越後国の守護代であった長尾氏の系譜を引く氏族であり、戦国期に長尾景虎(上杉謙信)が関東管領・山内上杉氏の名跡を継いで以降上杉氏を称したという経緯があり、上杉家文書には謙信期以降の戦国大名や近世大名としての上杉家文書に加え、関東を拠点とした山内上杉氏、越後長尾氏に伝わる文書群含まれている。近代まで上杉家の子孫家が所持していたが、平成元年(1989年)に上杉家より米沢市に寄贈され、現在は米沢市上杉博物館が保管している。
本文書の特色は、大部分の文書が保存のための軸装、巻子装など改装されておらず文書が作成されたままの状態で保存されており、書札礼を考察する際に重要な折り方、包み方などを含め、上杉家で受け取った時のままの形態で保存されている点であり、文書の本来の形態を知る上で学術的価値が高い。
また、上杉家の家伝文書のみならず上杉家臣や地域国衆、外交関係のあった他大名家の発給した文書など多様な文書群を含み、近世大名家として存続しておらず宗家の家伝文書が散逸している甲斐武田氏など、他の戦国大名家や地域史研究においても活用されている。 |
|
東大寺二月堂
東大寺二月堂は、奈良県奈良市の東大寺にある、奈良時代(8世紀)創建の仏堂。東大寺金堂(大仏殿)の東方、坂道を上り詰めた丘陵部に位置する、十一面観音を本尊とする仏堂である。すぐ南には三月堂の通称で知られる法華堂がある。現存する建物は1669年の再建で、日本の国宝に指定されている。奈良の早春の風物詩である「お水取り」の行事が行われる建物として知られる。「お水取り」は正式には修二会(しゅにえ)といい、8世紀から連綿と継続されている宗教行事である。二月堂は修二会の行事用の建物に特化した特異な空間構成をもち、17世紀の再建ながら、修二会の作法や習俗ともども、中世の雰囲気を色濃く残している。
東大寺は治承4年(1180年)の平重衡の兵火と、永禄10年(1567年)の三好・松永の兵乱とにより、創建時の建物の大部分を失っている。二月堂はこれらの兵火では類焼をまぬがれたが、寛文7年(1667年)、修二会の満行に近い2月13日に失火で焼失。現存する二月堂はその直後の寛文9年(1669年)、江戸幕府の援助を得て、従前の規模・形式を踏襲して再建されたものである。 |
|
|
|
|
|
|